スカジャンとは? 名前の由来や歴史を徹底解説

スカジャンとは?名前の由来や歴史を徹底解説

日本で生まれた唯一の洋服とも言われるスカジャンがどうやってできたのか?歴史的背景とともに解説します

目次

スカジャン発祥の地は?

はじまりはお土産としての刺繍文化から

第二次世界大戦後、神奈川県の横須賀市は、日本海軍の施設を接収した米海軍が駐留。「基地の町」として知られるようになった。その米海軍横須賀基地の正面ゲートがある国道16号に並行して走るのが、全長300メートルのドブ板通りです。

そのドブ板通りには日本に駐留していたアメリカ軍兵士向けの「スーベニヤ」と呼ばれるお土産屋さんが数多く存在しました。これは英語でお土産を意味するスーベニアとかけて呼ばれていたもの(スーベニ屋と評されることも)で、主に陶器などの日本特有のもののほか、肖像画や米兵の階級章や部隊を示すパッチを作成する刺繍屋などが建ち並んでいました。

そこで、元々戦前よりあった、「自身の装備や持ち物に刺繍装飾を施す米兵の文化」により日本特有の龍などの刺繍を施したジャケットをオーダーすることが米兵の中で流行しました。これがスカジャンの前身となっていることから、スカジャンの発祥は神奈川県の横須賀であり、「スカジャン」という通称は、「横須賀ジャンパー」の略だという説が最も有力です。

※スカジャンのルーツとなったオーダー刺しゅう入りジャケット

スカジャンの商品化

ベースボールジャケット型の「スカジャン」の誕生

そんなお土産需要に目をつけた「港商商会」(現在の東洋エンタープライズ)が、アメリカ人に親しみやすいベースボールジャケットを模して、そこにアメリカ兵の喜びそうなオリエンタルな刺繍を入れた製品を思いつきました。

そして、刺繍は刺繍の街である桐生や足利の職人に依頼。ボディにはシルクの代わりに手に入り安かったアセテートという光沢もありシルクのような手触りの生地が代用された。

こうして誕生したのが、現在の形のスカジャンです。

アセテート製のスカジャン

スカジャンの進化と発展。

その後スカジャンは様々な変化を遂げます。例えば中綿を入れ、防寒性を高めたジャンパー。中綿は工場で出た粗悪なクズ綿を使用しており、中に入れるだけでは安定せず、袖の方へ落ちてきた為、キルティングの処理をほどこした。このキルティングの加工の中綿入りのスタイルは現代のスカジャンでもみることが出来ます。

また、アセテート製と同じく、スカジャンといえばの「別珍(英語の「velveteen」が語源)」も元々明治時代から足袋などに使われていたものをシルクベルベットのように見せるということで考案されたもの。

そして、当時の日本のジャケットではほとんど見られたなかったファスナーを用いることも豪華に見せるための工夫であり、これがその後日本のファスナーが世界的なシェアを占めることにもつながっています。

別珍のスカジャン

 スカジャンの世界進出

スカジャンの人気と世界のPXでの販売

こうして、作られたスカジャンは飛ぶように売れ、その人気に米軍が目を付け、基地内の売店「PX(Post Exchangeの略)」へ港商がスカジャンを納品するようになりその市場規模は一気に拡大しました。

それから、PX以外の各地のお土産店も独自でスカジャンを発注するようになっていきます。そして、熟練の職人の手による生産が追いつかなくなり、粗悪な刺繍のものが出回ったり(現在では味があり、一点物の良さでもある)、空母の入港情報を手に入れ、乗組員名簿から事前に名前を刺繍しておいて売るなど(スカジャンの胸元にカタカナで「ジョー」などの刺繍があるのがこの時のもの)様々な工夫で売られていき、これらの動きが後々スカジャンの魅力にもなっています。

なぜスカジャンにはハワイやアラスカのモチーフがあるのか?

神奈川県の大船にPXの商品調達本部があり、環太平洋エリア全体のPXをカバーしていたため、各所から依頼をうけ、1950年代中頃には各PXにてオリジナル図案のスカジャンが販売されていました。

ハワイであればパームツリーにフラガール、アラスカではシロクマや犬ぞり、トナカイの刺繍がほどこされました。これらは、ベトナムで作られたスーベニアジャケット(通称ベトジャン)などと違い、日本製のものを納品していることから日本の柄ではないが「スカジャン」と分類されています。

スカジャンの国内需要への変化

スカジャン=不良のイメージ

1960年代にはドブ板通りを部隊にした映画「豚と軍艦」で不良役を演じた主人公の長門裕之が着用。またその後も勝新太郎と田宮二郎出演作「新・悪名」、ドラマ「傷だらけの天使」などで着用されることでスカジャン=不良のイメージが定着。国内での需要が高まっていった。

国内需要への変化

それまでアメリカ人が安くお土産を買えていた円の固定相場(1ドル360円)が1973年から変動性になったことや、1970年代から1980年代にかけてのアメリカ軍のアジア地域からの撤退、そして先述のスカジャンのイメージの変化によって、需要は国内消費へと変化していきました。

その後のスカジャン

その後90年代には、ヴィンテージ古着ブームでスカジャンが注目され高値で売買されるようになり、ファッションアイテムとしてアメカジ好きや古着好きの中では定番アイテムにりました。

また、近年では海外からも注目を集めており、グッチやルイ・ヴィトンといったハイブランドが取り入れたり、2020年東京五輪では公式ライセンス商品として制作され、五輪グッズを着用したアスリートのSNS投稿が世界中で大きな反響を呼び、「クール」「ゴージャス」といった称賛が集まりました。

現代、横須賀のドブ板通りでは、スカジャンの刺繍を考案するスカジャン絵師の横地広海知さんのような人々が、スカジャンの伝統や歴史を大切にしながらも、新しいデザインや着こなし方を提案し、スカジャンカルチャーを次の世代に繋ごうとしている。

こうして、日本発祥の唯一の洋服として、進化をとげながら愛され続けてるのです。

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