スカジャン第二の聖地「刺繍の街、群馬県桐生市」

出展:株式会社オープンハウスグループ

「本当はスカジャンではなくキリジャンなんです」そんな声も聞こえてくるほど、実はスカジャンとは密接な関係にある群馬県桐生市。今回は桐生市の刺繍の伝統からスカジャンとの関わりまでをまとめて紹介します。

目次

刺繍の起源と技術的な特徴

振りミシンの登場

「西の西陣、東の桐生」と称され、織物の町として繁栄してきた群馬県桐生市。その歴史は奈良時代に絹織物が朝廷に献上されたという記録(奈良時代・約1300年前)に遡り、スカジャンに用いられている刺繍の技術は明治末期〜大正初期(1912年頃)のミシン刺繍の登場により始まったとされています。

桐生刺繍で特に知られるのが「横振り刺繍」。これは横振り(横に針が振れる)専用ミシンを使い、布を手で大きく動かしながら刺繍を施す技法です。横振りミシンには、通常の縫製ミシンにある布を抑える機構などがなく、針が左右に動きますが、その動きの幅をペダルを踏みこむことで変えることができ、一度縫った縫い目の上にさらに糸を重ねて厚みや立体感を生み出し、コンピュータ刺繍にはない陰影・強弱が得られます。

大きな図柄を腕全体で描くように仕上げるため、習得には数十年の経験が必要とされており、まさに「刺繍で描く絵画」のような繊細さと迫力を持つ。

お土産としての刺繍製品の発展

横振り刺繍は戦前は仏具、和装品、大正時代は半襟、袱紗(ふくさ)、鏡台掛けなどの刺繍が主でしたが、第二次世界大戦後、米兵へのお土産としての刺繍が一大産業となっていきます。

1940〜50年代には桐生市の業者が千葉・千歳や横浜・伊勢佐木町、横須賀など米軍駐留地に店舗を出し、兵士向けの(お土産)スーベニアとして大量の刺繍製品(スカジャンのほかワッペン、ブラウス、ネクタイ、手拭い等)を製造。

特に和柄の刺繍の入ったスカジャンは当時一世を風靡し、「日本らしい刺繍入りジャンパー」として進駐軍兵士に人気を博し、桐生市内の業者によって生産され、当時全工程を桐生で行われました

このように桐生は、戦後のスカジャンブームにおいて中核的な生産拠点となり、その技術が国内外に広まりました。

現代の桐生における刺繍・スカジャン関連の取り組み

桐生横振刺繍で初めて「現代の名工」・黄綬褒章を受章した大澤紀代美

現代の桐生では、伝統技術の継承と新しい展開が進められています。著名な刺繍職人としては、桐生横振刺繍で初めて「現代の名工」・黄綬褒章を受章した大澤紀代美さん(アトリエきよみ)が挙げられる。

大澤さんは下書きなしで自由な発想で横振りミシンを操り、繊細な刺繍画を生み出しており、国内外のファッションショーやコレクションにも作品を提供していて、ファッションデザイナーの小西良幸(ドン小西)さんや山本寛斎さんのパリコレなどで衣装の刺繍を担当し、世界のファッション界にその名を知らしめることとなりました。

出展;ハリマ化成グループ「ミシンが織りなす芸術性
横横振り刺繍 刺繍作家・大澤紀代美さん」

桐生ジャンパー研究所

桐生におけるスカジャン生産の歴史と技術の継承を目的に活動中の団体。

サイト内では、 かなり詳細な桐生のスカジャンの歴史を貴重な写真と主に紹介。また、オリジナルのスカジャンの制作や石内都氏・藤原ヒロシ氏などクリエイターとのコラボレーションも手がけています

これからの桐生市と刺繍

近年はスカジャン自体も再評価されており、ストリートファッションやルイヴィトンやグッチなどのハイブランドのコレクションに登場することも増えています。

また桐生市では「刺繍によるデザイン」が地域のクリエイティブ産業として注目されており、地元メーカーや工房とデザイナーが協業して新商品を開発する動きも活発です。

クラフトマンシップやサステナビリティがファッション界でも重視される中、手仕事ならではの個性や物語性を備えた桐生刺繍の作品には改めて価値が見直されており、歴史的には地場産業として桐生の産業全体を牽引してきた刺繍技術ですが、現在は伝統と革新が融合する形で新たな可能性を切り拓いており、地域活性化とファッション文化の両面で注目される存在となっています

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次